各方面で取り上げていただき、修復資金の調達にもおおよそ目星がついてきた頃になって、こうしておネタにする次第。WEB上で行われている、小口で参加できる基金の進捗は約8割とのことです。
昨日は歴史群像誌の編集者さんとカメラマンさんが来訪、そこにレストアを行う相模原の永久ボディさんも同席し、くろがね四起の車内に放り込まれたゴミやら部品やらを下ろして、カマドの小林社長と車体を検証しようということになっておりました。そこに私も野次馬参加したのでした。
ところで、くろがね四起にも年代別に各種モデルがあるようで、この初期型と後期型ではフレームからして違っていおり、ほとんど別の車のようです。細かく見てゆくと、技術の粋を集めたところもあれば、成り行き上そうなっちゃったという箇所もあるような気がします。どうにもジープ以降の四輪駆動車の常識を持って「ここは凄い、ここは駄目」とかの安易な寸評のできかねる昭和16年生まれの老体。私にとって同じ時期の乗り物といえば、自動車ではなく、平成初頭まで走り続けた、のちに東急3000系(これも大雑把な括りです)と呼ばれる戦前の車輌群でしょうか?それくらいしか馴染みがありません。
当たり障りなく概要を説明するならば、うしろすぼまりのラダーフレームにフロント独立懸架、リアリーフリジッドの足回りを持ち、V型2気筒エンジンに1速のT/F、ロッド式のブレーキがリアのみに備わり、燃料タンクはサブとメイン、乳母車式の幌骨に、前席2名後席1名の定員、貨物車としての使途は考えられていない、軍用にしては流麗に過ぎる各部の鈑金・・・・・・といったところです。各部に木材が使われていますが、木骨キャビンではなく純然たる鋼製キャビン。木材はトリムや幌の幕体を釘で打ちつけるための土台のようです。
最初の状態は放置車によくある眺め。
関係ないゴミも投げ込まれています。
鉄片、残骸、錆屑、しかしこれが何かの参考になるのだと、並べて行きます。
人骨とか弾丸が出てこなくて良かった。
ワンテール時代のジープのレンズが出てきたぞ、いっただきぃ!!
床は消失、または薄紙のようですが、70年という経過年数を考えれば原形を保っていますな。
実は古いジープにもよく見かける白いピラミッドマットが敷いてあったのですが、それが悪さをしています。
この手の車内清掃といえば・・・・・・
2月に行ったU690のサルベージでも経験しましたが、あのときも鼻の穴が真っ黒になりました。
こちらは車齢約50年ですが、デカイだけに大変。
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さて、相前後してガソリン山猫L041Gのお嫁入り準備。
洗車もしない現状渡しの当ガレージですが、積載車に乗り込めないようでは困るので、
充電やら給油やらを行い、ブンブン吹かしてかぶったプラグをすっきりさせます。
新オーナー氏はこれを何色かに塗ってみようと言っていました。
第一候補は「廻り目平の緑パジェロ」(キュリアス6号参照)でしょうか。
まあ、ボディもアレですがフレームも腐った箇所があって、よろしく面倒みて下さい。
こちらは下取輸出組で、横浜港直行だそう。
ブローカーのシャド氏曰く「スピーディーガ ダイジネ」。
このあたりのRVを海外流出させたことを後悔する日が来るのでしょうか?
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私自身は、すっかり独懸づいてしまった現状を憂いて、ここ1週間は 「ドッケン断ち」 をしてジープに乗っています。冬の間に付着した塩カルを洗い流すべく大雨の日に遠出しましたが、翌朝また塩カルを撒きやがって。なんだよチクショウ、もう凍結なんてしてないじゃないか。
再確認できたのは、この車はとにかく眠くなること。心地良いとかリラックスできるとか前向きな理由づけはいくらもできますが、理屈抜きに眠くなります。まあ、単に疲れるだけかもしれませんが、悪くないですね。
中学生の頃、通学の路線バスでエアロスターやMP107Kしか来なかったのに久しぶりにMR410が来て、乗り込んだらものすごく安堵感があって・・・・・・そんな甘酸っぱいというかカビ臭い思い出とダブります。
外装は粉噴きジーさんで所々アルミテープのまんまですが、ピラーやドア開口部を常にきれいにしていたいという思いがあります。こういった箇所に汚れが堆積しているのは、シャツの襟や袖口が汚いのと同じ。パジェロも同様で、ここだけピカピカにしています。
さあ、あと3日でデリカの記事を仕上げて、次は●●●の試走をするぜぃ!!