年末遠征の目的は、キュリアスVol.15向けに御歳三十になる老猫L049GVの撮影ドライブと、いつ出るかわからない廃バス見聞録4の題材集めでした。
恐ろしく快調な高速走行を終え、本誌寄稿者S氏と、バス研究家 “岩手その頃” 御大と、小淵沢駅で合流。八ヶ岳の玄関口に似合う車だなぁ。
取材中の諸々は省き、いきなり本題から。
と言っても、キュリアスとも廃バス見聞録とも関係ない、個人的(同行者含め)な趣味嗜好に由来する寄り道のつもりだったのに、今回のメインディッシュと相成りました。
まずはこの写真をご覧ください。
昭和63年秋に撮影した川上村営バス651号、昭和59年式HT223A(村営なので白ナンバーです)。
撮影地は村内ではなく、だいぶ離れた佐久市中込の商店街。つまり路線運用ではなく、短距離貸切だったようで、図らずも捉えたショットでした。
この中学時代の一枚が、オトナになって大きな意味を持つことになろうとは。
28年が経ったある日、仲間から「山荘の送迎用に、初期型ブルリが残っているらしい」との情報がもたらされました。
ナンバーは651で昭和59年式なんだとか・・・ん? 651!? うぉ~ホントかよ!!!
驚きつつも見に行く機会もなく、ようやく今回のルートに組み込むことができたのです。
電脳ナビよりも同行者のニンゲンナビを頼りに、思い出の色々ある(キュリアスVol.6 廻り目平の緑パジェロ参照)川上村を進みますと、ご本尊はシラカバのたもとに鎮座していました。
(Photo:Y.Saeki)
フェンダーこそ塩カル食らっていますが美しいボディ。ああ、ホントにナンバー651じゃないか・・・。
現代のブルリ2やエルガに発展するスケルトンボディの基本意匠は、ここから始まりました。
なので古臭くは見えませんが、実はとんでもない古豪です。同型式の国内実働車は両手指で数えられる台数でしょう。つまり年式はBJ46や最初期パジェロなのに、FJ40やJ30より稀少。バスの命は儚いのです。
撮影のお願いをするため山荘の玄関に向かいます。理解を得られにくい趣味ゆえ緊張する場面ですが、ご主人は宿泊客でもない我々に気さくに対応して下さいました。そして驚きの話を伺うことに。
「写真ならどうぞ。このバスもおしまいだから」
「え、廃車になるんですか?」
「もう新しいバスが届いて、車庫から追い出されちゃったんだ。30年近く大事に乗ってきて、沢山お金掛けて直して、全塗装も2回して、輸出や解体は寂しいなぁ。誰かいい人がいたらお願いしたいね」
「じゃあ、里親探しします!」
また出しゃばってしまったと思いつつ、放っちゃおけない651号。
乗用車的な表現で言うところの「Cピラー」が角ばっているのが、初期型ブルリのチャームポイントでもあります。
昭和59年製造のプレート。
我こそは!という、気骨ある実働保存家の方がおられましたら、名乗りを上げていただければと。
しかし興味本位で冷やかすのはNGでしょう。乗用車や四駆の骨董車を維持するのとはワケが違います。
保管場所を確保し、車両代よりずっと大きいであろう今後の維持費を常にプールし、情熱をこの車に注げる、大型免許を保持者のどなたか・・・。
★覚悟なき中途半端な問い合わせは施設業務の迷惑になりますので遠慮願います。参考情報くらいなら当方でもお答えできるかも。
川上村営バスは昭和57年に千曲自動車(現在の千曲バス)から路線移譲され、町村営バスの一つのお手本として有名になりました。
(バス研究会発行:バスメディア41号)
かつて信州へのバストリップをする愛好家にとって、ある意味バイブルとなったバスジャパンVol.2(昭和61年発行)。
その特集記事の「信濃川バス紀行」の締めに登場するのは650号でした。
つまり、岩根山荘で第二の車生を送る651号には兄弟がいたのです。今はどうしているのでしょうか?海外に渡ったか、もうこの世の自動車ではないか・・・。
帰路、立ち寄った川上村営バス川端下(かわはけ)車庫。
そして・・・。
S氏が発見した林の中の生首。当然エンジンはありません。T81のバッジがありましたから、6DC2だったはず。透明感のあるドゥロロロ~のV6予燃焼室式です。
これも古い!!と思ったら、もうナンバーが外されていました。働く6x6。
強風が吹いており体感気温はマイナス10度か。
本当に氷点下になったので解散。
パジェロの運転は、ほとんどディフェンダーのS氏にお任せしちゃいました。
ローテクとハイテクの2.5Lディーゼルターボ味比べにもなったみたいです。後席の居住性も確認完了。
参加のお二方、たいへんお疲れ様でした。記憶の定かなうちに草稿をこしらえます。本当は今日は大掃除ですが、手に付かんなぁ。
おまけ。
だいぶ前、ブログにも書いたかな?いや消しちゃったんだか。
超個人的な川上村の胸アツ案件。