ここまで降ると、市街地だろうが高速道路上だろうが高原地帯だろうが積雪量は同じです。2日ぶりに出勤してみると「上のほうは凄いでしょう?」と云われるのですが、標高950mと400mでは変わりはしません。むしろ山梨側があんなひどい降り方をしたのに、富士山南東がこの程度で済んだのが不思議です。
金曜日の帰宅風景。前進後退また前進のラッセル走行で
無事たどり着きましたが、やっぱり4M40は低速トルク不足です。
翌日、世の中が深刻な状況になっているとは露知らず買い物やら動物病院やらに出かけようとしたら、市街地に通じる道路は寸断。仕方ないので引き返しましたが、途中にも難関があって帰宅不能になるかと思いました。こんな日は出歩くべからずです。 ※スタック車の後にいるのが私。
震災以来、大量の食料燃料を備蓄するようにしていますので、中身の入れ替えを含めて消費することにしました。
7.00R15のSP-LT01は、凍結路でSUV用スタッドレスに負けますが、こんな深雪ではトラック用ならではの深い溝で雪柱せん断力バツグンといった走り。限界は「アンダーガードが決める」感じがしますので、7.50R16だったらもっとイケルでしょう。
2日目の夜、2度目の除雪が入り、現在は乾燥路面が顔を出しています。
////////////////////////////////
「黒部の太陽」 1968年公開のオリジナル。2009年にTV放映された香取君のドラマ版しか見たことが無かったので、釘付け。やっぱり本物は違う!これを見たのち、大町-扇沢-黒部ダムという「アルペンルートの玄関口」を辿れば、また感慨もひとしおというものです。
劇中にはジープが多数出てきますが、関電カラーのJ30には痺れました。開削工事の頃(昭和30年代末)にはCJ3B-J3やJ10だったはずですが、そんな細かいことを言うのは野暮。
J20は純正色バージョンも登場します。関電ではなく、この工区を受け持つ熊谷組の所有車両でしょうか。
「J30前期の後期」昭和42年前後の生産です。撮影時点の最新鋭。
よく見るとサードシート装備…… つまり3ナンバー登録車です。
赤ベンチに白い布カバーが掛かっているように見えます。
こちらは白なし赤テールの初期型、悶絶モンです。後席窓がJ11のようなスライド式かどうかは不明。
扇沢からトンネルに入る場面、現在のトロリーバスのルートと思われます。
エンディングにはトロリーバスも登場。もちろん初期の100形です。
車内シーンでフロントウインドウに熱線デフロスタの二重ガラス枠を見つけ絶叫。
まるで寒冷地の国鉄車両のようですが、車体更新で温風デフロスタになっています。
100形は平成になっても走り続け、引退後はメキシコシティに譲渡されました。
それもすでに現役を退き、路傍のオブジェになっている姿をネット上で見ることができます。
平成元年撮影、100形増備車もしくは200形。
昨年撮影したもの。もう、くろよん50周年です。
マスコット「くろにょん」のステッカーで飾られたVVVFインバーター制御の300形。
全車これに統一されています。